2004-06-02 第159回国会 参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第14号
「海軍官憲は戦時事変その他の場合に於て船舶保護上必要あるときは命令の定むる所に依り運航業者、船舶所有者又は船長(船長に代りてその職務を行ふ者を含む)に対し船舶の航海、碇泊、通信、装備、乗組員、乗客、積荷その他に関し臨機必要なる指示を為すことを得」と規定しています。
「海軍官憲は戦時事変その他の場合に於て船舶保護上必要あるときは命令の定むる所に依り運航業者、船舶所有者又は船長(船長に代りてその職務を行ふ者を含む)に対し船舶の航海、碇泊、通信、装備、乗組員、乗客、積荷その他に関し臨機必要なる指示を為すことを得」と規定しています。
原子力潜水艦の出入に当たりましては、「原子炉は碇泊後直ちに停止し、また出港の数時間前に始動させる。」これが国会に説明された。直ちに停止するということです。ところがエードメモワールでは、これは後退をして、「てい泊後間もなく」というふうに修正されている。この間の事情を聞きたいということと同時に、この停泊をして直ちにとめるかどうかということの点検はどこが行うのですか。
呉の艀碇泊地区と申しますのが呉港の北のほうにございます。これにつきましては、非常に小さい施設でございますが、米軍が小型の上陸用舟艇をそこに乗り入れて物資の積みおろしをやっている場所でございます。この前面を呉市が埋め立てをして流通センターをつくりたいという御計画があるものでございますから、この施設を呉港の南のほうにあります第六突堤、これも提供施設でございます。
この予報を聞いた船が、アグリガン島に集まってきて、前回の台風の際に非常に碇泊するに適当だと思ったアグリガン島の島陰に集まってきた。だから、アグリガン島に集まって避難をしてきたときには、その台風の中心はアグリガン島付近に実は来ているということになる、実際は。予想は西のほうだけれども、事実の台風の位置というものは、ずっとアグリガン島に接近をしていたわけです。
それから、第二は、共同調査について、向こうは、寄港する港におけるバックグランドの調査、それから碇泊中のモニタリングの調査、こういうことは必要に応じてやっていい、材料を示していい、いわば共同調査の意味ですが、これに対しては日本測はどう取り上げるか。そのとき、私が言いたいことは、スレッシャー号の調査、これは非常に参考になる。
そのほかにまた別の項目といたしまして、「海峡、堀割基ノ他ノ狭水道二於ヶル埋立ニシテ航路、潮流、水流若ハ水深又ハ艦船ノ航行碇泊二影響ヲ及ホスノ虞アルモノノ免許」という項目もございます。港湾の開発上われわれとして関知しなければならないと思いますような埋立につきましては、この各項目を考えて参りますと、大体われわれも運輸省の認可を必要とするというふうに考えております。
ただ、御承知のように航海士、機関士というのは、従来碇泊をいたしますと、機械の整備、あるいは荷役に非常に追い回されておると、その場合に、無線局というのは碇泊すると閉鎖をされますということから、そういうような誤解をされるような発言があったと思うのですけれども、そういう仕事の仕方を変えるということは、これはさしつかえないことでありますけれども、何かほかのほうが減らされたといいますけれども、われわれは、そういう
完全なる軽荷状態は平常の場合では起り得ないが、之に近い状態は港内繋留時或いは碇泊時に起り得る。此の様な状態に於て波浪による同調横揺及び定常風、突風が相乗的に作用すると思われる際は船首尾艙に清水又は海水を漲水する必要がある。昭和三十一年四月二十七日」 こういうふうに船の状況につきましては詳細に検討を加えまして、そして本船に注意を与えております。
苫小牧工業港の計画は、苫小牧市東部に臨海工業地帯を造るもので、掘込式の工業港を新設上、一万噸級の船舶数隻の碇泊を可能ならしめようとするものである。海岸線と平行した内湾をつくり、その主航路の有効幅員二〇〇米とし、内湾の周囲に約四〇〇万坪の工業地を造成せんとするものである。
4 苫小牧工業港 苫小牧工業港の計画は、苫小牧市東部に臨海工業地帯を造るもので、堀込式の工業港を新設し、一万噸級の船舶数隻の碇泊を可能ならしめようとするものである。海岸線と平行した内湾をつくり、その主航路の有効幅員二〇〇米とし、内湾の周囲に約四〇〇万坪の工業地を造成せんとするものである。
○参考人(内田一三君) その当時漁民の方々のいろいろなお話を総合いたしました結果、われわれはフリゲートとよく言うのですが、何ですか、LSSTと申しますか、その船が沖合いで碇泊し、なお演習をやっておった当時には、大きな船は通っていない、漁民の方々は、そういうふうにはっきりと申しておられます。
数項目をあげて質問を申し上げました最後に、今後の台風によつて仮碇泊をしておるときに、当時は大きないかりのチェーンが切れたからとか、何のためにとかいうような新聞記事も出ておりました。
それに対して風に向つて船を立てて碇泊しておつたのが、猛烈な風と波のうねりとのためにだんだん流されて行つたのではないか、そして一方三角波といいますか、複雑な波の現象でうしろからの水も相当入り、その圧力が非常に強いので、締めておつたハッチもゆるんだり、あるいはこわれたりしたこともあつたのじやないかとも思われます。ともかく水が相当入つて、そのためにだんだん機関の方にも故障を起して来る。
○臼井委員 船長の責任で、航行中の責任と岸壁に碇泊しているときの責任、これとがどうも混同しているように考えるのであります。あちらの現地で聞きましても、私たちの調べた範囲内においては、陸上における気象の研究調査、それから台風十五号についての気象台に対する問合せ等が、十分やつたようにも思われないのであります。
従いまして函館港といいましても、西の防波堤、北の防波堤以外に、その外側の地区も、つまり洞爺丸以下五はいの船が碇泊いたしておりました地域も、港として四区、五区、六区ということになつて、あそこの中も十分港としての役割を持つことになつておるわけであります。
七重浜に碇泊するというような問題について、あらかじめ船員や船長の間でもつと研究してあればよかつた。というのは、たしか十二青函丸の船長だと思いましたが、自分は以前にやはり七重浜に仮泊して風のために――おそらく南風か何かでしよう、ひどい目にあつたことがある、そこで自分の船は港内に碇泊した。
○山内説明員 十一青函につきましては、ただいま御指摘のように千三百二便といたしまして出港すべく当日函館港外に碇泊しておつたわけでありますが、海上非常に風浪が高いために十三時五十三分函館港内に入りました。十四時四十八分再度函館二岸に着岸いたしました後に、船客を四便洞爺丸に乗せたという事実が報告に参つております。
六時四十分頃に出まして七時過ぎには大体港内で碇泊、仮泊いたした格好になつております。御承知の通り函館の港につきましては、大体そういう嵐のときには七重浜のあの沖合の所に避難いたしまして、あそこで大体嵐を避けるというのが慣習になつているようでございます。
洞爺丸のみならず四つの貨物船が、同じように沖で従来の慣例上の避難の方法で港外に碇泊しておつたものが、その五十メートルというような想像もできなかつた突風によつて沈没したというふうに、若干私の想像も入つておりますが、そういうように考えます。
しかるにその場合に今度はあの貨車を入れて行くしつぽのとびらをあけ放しにして、何であそこに碇泊したのか、こういう疑問が起きて来るのであります。とびらを締めまするには、表からでなければ締められないという構造らしいです。
○岡田(五)委員 もう一問お尋ねいたしまして、また後日質問を続けさしていただきたいと思いますが、ひとつぜひ海上保安庁の長官にお願いいたしますが、その当時函館海内に連絡船以外の一般船がどの程度に碇泊しておつたかというこき、いろいろお手数もございましようが、ぜひお調べをいただきたいと考えるのでございます。
なお現在当内閣委員のかたがたに、この際海上保安庁の業務の実情を実地について御見聞願つておくことが将来のため有益と存じますので、委員会の散会後直ちに芝浦竹芝桟橋に碇泊中の巡視船に乗船し、運航する船内において実地について海上保安庁当局より御説明を承わりたいと存じます。 それではこれらの点について山口長官より説明を受けます。
○政府委員(福島愼太郎君) まあそういうことになりまするが、それ以外に長期に亘つて公海に碇泊しているというような例もあるかと思いますが、まあそういうものを想像いたしまして、附近に配備された軍隊と考えるなら考えるということ以外には、私どもは補償関係しか見ておりませんから間口が狭いとは思いまするけれども、補償関係の法律の面に現われます条文の配備された軍隊という面からの考えといたしましては、そういうものを
例えば軍艦が領海の附近、領海外で、而も附近という辺にかなり長い間碇泊しておるという関係でも想像するほかないわけになります。
○政府委員(山中一朗君) 艦船あたりがそのところに碇泊したこともあると思います。ただ特別損失補償法ではその軍隊の行為が問題になるわけでありまして、ここで我々の言つております配備されたということだけで強く絞りますと、御指摘のような範囲が縮小された感じになりますが、特別損失補償法は、その配備された軍隊の行為が行政権の範囲内にありますれば、それは自然に救済されると我々はとつております。